30 伝搦手門の石段が全段完成しました。
石段の左側に武者溜りのような空間がありますが、
この場所は手持ちの資料が不足しているので、
推測で作っていました。
しかし、ネットで検索した写真から、どうやらこの場所は
石段と並行して、スロープ状になっているようなので、
思いきって作り直すことにしました。

2013.02.06
修正して作り直しが必要な箇所を取り壊しました。

29 伝搦手門の石段の上半分だけ完成。

2013.02.05
完成した石段の上半分のパーツ。
石段の歩幅がばらばらなのは仕様です。

28 伝搦手門の石段を制作中。
高さのバランスを確認しながらプラ板を積層していきます。

2013.02.04

27 まだ本丸北虎口の石段を作っています。

2013.02.02

26 本丸東虎口の発掘前と発掘後の図を見比べていたら、
地形の違いを見落としていたことに気がついたので、
修正して作り直すことにしました。

左が発掘前の図
右が発掘後の図

2013.01.12
本丸東虎口から台所へ通じる通路を、
下の写真に赤線で示したように作り直します。
修正に必要な箇所を取り壊しています。

25 手前の低い石段を作りました。

2013.01.11

24 石段の制作を継続中。

2013.01.10

23 プラ板から石段のパーツを切り出しました。

2013.01.07
切り出した石段のパーツを仮置きしてみたところ。
今日の作業はこれだけです・・・orz
ついでに先日作った櫓の基礎になるパーツを
作り直しました。
上が修正後のパーツ。下が先日作った没パーツ。

櫓の平面の形状は写真からわずかに確認できる
3個ほどの櫓の天端石と思われる石から推測しました。
はたしてこの箇所に、櫓が存在したのか、
それとも、たんなる武者隠しだったのかは、
はっきりとはしませんが、一応、台形の櫓が
存在していたと仮定して制作しようと思います。

この箇所には宮上氏の復元案では渡り櫓門、
三浦氏の復元案では空中廊下を伴う平櫓と
なっていますが、石段の踊り場に門や渡り櫓を
支える礎石が見当たらないので、おそらく
渡り櫓門ではなく、平櫓だったのではないでしょうか。
3個ほどの礎石と思われる石から推測した櫓の
平面形状。

22 相変わらず作業ははかどっていません・・・

本丸取付台の北側から台所へ通じる通路を
作り始めました。
制作中の写真は作業中に、てっとり早く携帯で
撮影しているのでヘボいですが、完成したら
デジカメで撮影するのでご了承ください。

2013.01.06
ついでに櫓の基礎になる台を取り付けました。
画面中央の台形のパーツがそれです。

21 細々した作業を継続中

2012.10.21


20 台所の北側の虎口周辺の櫓台等を制作中。

2012.10.20

19 ガイドに山の斜面となる蓋をプラ板でふさぎました。

2012.10.16

18 石垣下の山の斜面の角度を決定する為の
ガイドを取り付けました。

2012.10.14

17 台所周辺を制作中。

2011.12.15

16 サーフェイサーとペーパーで表面処理をしてから
0.5ミリのプラ板で、石段を新設しました。

2011.12.10

15 天主に登る石段を作る前の下準備で、
天主台の石垣の隙間をパテ埋めしました。
ついでにガンプラもパテ埋め。


2011.12.08

14 ちまちまと作業を継続中。

2011.12.06

13 石垣の基礎部分を固定するためのガイドとして、
地面に3ミリのプラ角棒を接着し、その上に
石垣の表面になる0.5ミリのプラ板を貼り付け中です。

2011.12.04

12 主郭南面の主郭外周路を制作中です。

2011.12.01

11 本丸南側の櫓台と、本丸から台所へ通じる通路の
坂を作りました。

2011.11.30